
こんにちは、具です。
わたしたちは付き合って20年、同棲して15年を超える同性カップル(ふうふ)です。
さて、私はふだん「パートナー」と自然に言葉を使って会話していますが、職場で改まってカミングアウトはしていません。
このスタンス、同性カップルの方なら少しわかってもらえるかしら…?
「敢えて隠してはいないけど、特別に説明もしていない」
「気づく人は気づくし、気づかない人は……まあ、いっか」
そんなふうに、ごくふつうに仕事をしていたある日。ちょっとした“事件”が起こりました。
📝この記事では、「カミングアウト」と「アウティング」の間にあるモヤモヤや、職場で感じた“家族として扱われること”のむずかしさを、実体験からお話しします。苦いできごとではありましたが、支えてくれた人たちとのあたたかいやりとりも交えて、お届けできたらと思います。
- 📰ある日、新聞に載ったわたしたち
- 📣緊急会議、そして「箝口令」
- 😶周りの人たちの反応は意外と…
- 🛡️でも、味方はちゃんといた
- 📄明文化されていない“関係”の不安
- 🌈おわりに:「制度の壁」は高い。でも、味方はちゃんといる。
📰ある日、新聞に載ったわたしたち
今は昔ーーとある機会に、わたしたちは新聞の取材を受けました。同性カップルの日常や困りごとについてをテーマに語りながら、撮影用に写真も何枚か撮影。
取材自体は快く引き受けたものの、「掲載前にゲラ(原稿)確認があるもの」とばかり思い込んでいたんです。……が、それはありませんでした。
掲載当日、新聞には私とパートナーの顔がしっかり映った写真とともに、私たちの生活の一端が紹介されていました。当然発刊されていることに気がつかない私。いつも通り出勤をして仕事をしていました。
そしてその日の夕方、当時の管理職に呼び出されて事情を聞かれます。
私「取材は受けましたけど、この写真が使われることは知りませんでした。記事の最終確認もなかったし、私も今日の新聞を見て知ったのが正直なところです」
すると、「どんな問い合わせがくるかわからないので、会議を開く」と告げられます。でも、「記事の内容については話せない」と。
それではまるで、私が何か問題を起こしたかのように受け止められてしまう……。
変な誤解を生むくらいなら、自分で説明します、と伝えて、会議が開かれました。
📣緊急会議、そして「箝口令」
放課後、緊急の会議が開かれます。
りゅうさんが新聞に載っていた件について、マスコミなどから問い合わせがあるかもしれません。対応としては『知らない』で通してください
「りゅうさんが新聞に載っていた件について、マスコミなどから問い合わせがあるかもしれません。対応としては『知らない』で通してください」
思ってた感じと違う。……これ、いわゆる箝口令(かんこうれい)ってやつ??
会議では記事の中身には誰も触れようとしません。周囲の人たちが「どういうこと?」「なにかしたの?」と、頭の上に「?」を浮かべているのが肌で感じられます。予想通り。ここで私は口を開きました。
新聞に載った記事というのは、私には同性のパートナーがいて、そのパートナーとの生活での困りごとや、これからのことについて取材を受けたものです。私が何か悪いことをしたとか、過去に犯罪を犯したとか、そういう類のものではありません。誤解のないようにお伝えさせていただきます。
😶周りの人たちの反応は意外と…
会議で自分の口から説明することになりましたが、正直、納得はいきませんでした。
これは限りなくアウティングに近いカミングアウトとも捉えられる事案です。悔しさと怒りをぐっとこらえて、涙は流すまいと、私はその場に立ち続けました。
けれど、周りの反応は、思っていたよりも“あっさり”したものでした。
……なんだ、それだけ?
こんな集まりまで開いて、おおげさな
中には管理職に対して、「こんな会議、開く意味ありますか?」と疑問を投げかけてくれた人も。心からありがたかったです。
しかしその後、今度は主任級の人たちだけが別室に集められ、再度“当該記事”について共有がされたと聞きました。私はその場には呼ばれていないので、共有された内容や空気感がどんなものだったのかはわかりません。
ーー私のいないところで、私の話がされている。
胸の奥に、またじわりと悔しさが広がりました。あの日のことは、今でも人生でいちばん屈辱的な瞬間だったと思っています。
🛡️でも、味方はちゃんといた
ただ、ありがたいことに、味方もたくさんいました。普段からいっしょに働いている仲間。そして、労働組合の方々が、すぐに声をかけてくれました。
「組合として支援できるよ」
「慶弔金の支給や制度利用も、相談に乗れるからね」
思わぬ形ではありましたが、この経験を通して、
- この件を人権侵害として問題視してくれた人
- 使える制度があると教えてくれた人
- 実際に制度を動かすために動いてくれた人
――いろんな“仲間”がそばにいてくれたことに気づけました。
実際、後日、結婚式を挙げた際に異性婚の方々と同じように慶弔金も支給されました。
制度って、意外と「ひらいている」部分もあるんだなと実感した瞬間でした。
📄明文化されていない“関係”の不安
もちろん、今回の経験が苦いものであったことはまちがいありません。
でもこの経験を通して、あらためて考えたのは「明文化されていない関係」の不安です。
何かが起きたときに「うちのパートナーは家族です」と自分が言っても、それをどう扱うかは相手次第。
- 結婚や出産時などの休暇許可は対象か
- (子どものいるふうふの場合)血縁関係のない子の看護休暇はとれるのか
- 社宅貸与の家族の基準に、同性パートナーは含まれるのか
などなど、こうした制度や規程に、“同性パートナーも対象”と一言あれば、もっと安心して働けるのに、大抵はその一言がないがために、「これは対象ですか?」と確認する必要が生まれます。
そしてその「確認する」という行為にはつまり、毎回カミングアウトすることを意味していて、想像以上にエネルギーが要るのです。本当にひとことでいいから、一文載せていただけると助かるんですが…。
🌈おわりに:「制度の壁」は高い。でも、味方はちゃんといる。
何度でも言いますが、今回の経験は本当に苦いものでした。
でも、これをどうにかプラスに考えなければ、私自身も救われません。
この経験を通して、今はこう思っています。
- 制度が守ってくれることもあるけれど、人が守ってくれることもある。(もちろん、明文化や制度の整備は急務です)
- 同性婚が認められていない今の日本でも、使える資源はある。
そう実感できたのは、大きな収穫でした。
とはいえ、あんな経験はもう二度としたくありませんし、誰にもしてほしくありません。同性カップルという存在が、もっと当たり前に、社会的に認められる未来を、心から願っています。
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ちなみにウチの猫さまは、開いた新聞の上にどっかり。記事がまったく読めません。まるで、「そんなのよりワタシを見て。ナデなさい」とでも言うように。
猫さまは“家族”って、ちゃんと分かってるよね
というか、私が“飼われてる”説ない?
たぶん職場に申請すれば、“猫さまの扶養に入りたい”って言われるよ